毒親、お母さんのせいで私は辛かった

お母さんのせいで、わたしはこんな性格になった

お母さんのせいで、やりたい事ができなかった

お母さんのせいで、あんな男と結婚して失敗した

全部、お母さんのせいだ
全部、お母さんがいけないんだ
全部、お母さんが悪いんだ

あの人さえいなければ
わたしは幸せになれたかもしれないのに

自分の親を「毒親」とすることで
自分を「毒にさらされた娘」にすることで
被害者であり続けることができます

お母さんのせいにしていればいいのですから
ある意味では楽です

いいえ、毒親と戦っているうちは辛いのです
悲しいのです
寂しいのです
苦しいのです

戦う相手が自分の親だから苦しいのです
敵が一番大切な親だからつらいのです
でも、恨むことをやめやれないのです

本当は戦いたくないのです
でも、憎む以外に方法が分からないのです

お母さんを責め
お父さんを責め
あなたのせいだとわめき散らす度に
自分のことも嫌いになってしまう

だって、
お母さんが話を聞いてくれなかった
お母さんが優しい言葉をかけてくれなかった
お母さんが手伝ってくれなかった

「お母さんが○○してくれなかった」
これは誰もが体験することです

私たちが赤ちゃんだった頃は
親に全てを与えてもらいました
して欲しいことを
して欲しいタイミングで
して欲しい形で

あなたが思うとおりに与えてもらいました

お腹が空いたと泣けばミルクをもらえます
泣けば、オムツを替えてもらえます
泣けば、抱っこをしてもらえます

大事に、大事にしてもらえました
いつでも守ってもらえました
何でも言うことを聞いてくれました

やがて成長していくうちに
親は子に注意をしたり叱るようになります
大人になるためです
危険から守るためです

子供からすると
これまで何でも言うことを聞いてくれたのに
ダメだと言われ、叱られ、口出しをされる

これは親として当たり前のことなのですが
私たちはそこで勘違いをしてしまいます

「親は私の言うことを何でも聞いてくれるはず、それなのに叱られるなんておかしい」

「私の思い通りに親が動いてくれないのは、おかしい」

「親は私のいうことを聞くべきだ」

そうやって親をうらむ気持ちが出てきます

まさに数年前までの私のことなのですが
ものすごい怒りのエネルギーです
自分の思うとおりに動いてくれなかった親に対する怒り、うらみ、にくしみ

自分の親を「毒親」に仕立てることで
怒りを向ける先をつくるわけです

そして
私は悪くない、悪いのはお母さん
という図の出来上がりです

親をうらんで良いことは一つもありません
あなたが今生きているのは
産んでもらって育ててもらったから
こうして文字が読めるのも
学校に行かせてもらったから

私は毒親だと怒り狂っていた時は
そんなこと考えもしませんでしたが

あなたのお母さんは
あなたが欲しい物を、欲しい時にくれなかったかもしれない

でも、
産んで育てる、ということが愛情なのです

私は恥ずかしながら親のありがたみを36歳で気がつきました

そんなこと子供の頃から知っている人
今まさに親のことを恨み苦しんでいる人
どれが正解で、どれが間違いなのか
そんなものはありません

自分が選ぶだけです

ただ、勘違いなのだとしたら
それに気がつくだけで世界が変わります

親が何でも言うことを聞いてくれたのは
私たちが無力な赤ちゃんだったから
でも、もう大人になりました
自分で欲しい物を取りにいく力があるのです

お母さんはお母さんなりに精一杯やった
子供を不幸にしたい親なんていません
あなたが自立できるように注意して叱ってきたのです

お母さんのせい
旦那のせい
あの人のせい
誰かのせいにしているうちは被害者のまま

本当は被害者も加害者もいません
子を思う親の気持ちと、親に期待する子の気持ち
すれ違って当然です