家族は誰も私を理解していない、疲れた。その通りです。

こんにちは、

麻布十番の顔と心のエステ、トゥーシャインという小さなお店の店主まきです

人間関係での悩みはつきません

「家族は誰も私を理解してくれない」

「誰も私の気持ちをわかってくれない」

「もう疲れた」

と落ち込んでいるあなた

その通りです

誰もあなたを完全に理解してはくれません

ですが、理解してもらえないからと言って悲しむことでもないのです

それが本来の人間関係の在り方だと思うのです

嬉しいこと、悲しいことを一緒に分かち合えたり
楽しい時間を共有できる相手がいることは素晴らしいです

そこで錯覚してしまいがちなのが

「私はこう思っているのだからあなたも当然こう思うはず」

という期待感にまみれた希望的観測です

楽しい時間を過ごしていた恋人たち
ずっとこのままで変わらないと思っていたのに
相手の心変わりを受け入れることができない 

許せない 
納得できない
立ち直れない

自分のどこがいけなかったのか
なにが悪いのか
どこを直したらいいのか

どこも悪くありませんし、いけないところなんて無いんです
ただ相手の感じ方が変わった、それだけのこと

なのに自分を責め、相手を責め、ストーカーになり

そもそもが

「自分がこんなに好きなのだから相手からも好きになってもらえるだろう」

「私の気持ちを理解してくれているはず」

「理解してくれないなんておかしい」

と思ってるわけです

夫婦、恋人、親子も同じ
相手を全て理解できる人いません

理解できてる、と思えるのだとしたら
それは相手を尊重しているからでしょう

自分の感じ方、考え方、ものの見方があれば
相手にも違った感じ方、考え方、ものの見方があるはずです

違っていて当たり前なのに
仲良くなると共有したがるんです
すべてを

どこでも一緒  
何でも一緒
いつも一緒にしたがるんです

最初はいいけど、だんだん窮屈になるんです

一緒、一緒の仲良しごっこをしたいんです

そしてそれが叶えなれないと怒るんです

裏切った、だの
理解してくれない、だの 
わかってくれない、だの

相手を責める言葉が出てくるのです

別の人間同士でした
気が合って、話がはずんで、共に過ごす時間が増え
愛情も喜びも増えていく

お互い、一本の川として流れていて
出会って見つめ合って
いつしか隣を流れるようになりました

それを、同じ一本にまとめようとするから苦しくなるんです

別々のままでいいものを
隣を流れていればいいものを

いつも一緒じゃないと寂しいのかもしれません
不安なのかもしれない

そんなふうに、混ざり合って一つになりたいと願う一方で

自分は自分でいい。
自分というものを持っていたい。
自分という存在を認めてるもらいたい。

だから、理解してもらいたいのでしょう
そして、理解してもらえないと怒るのでしょう
悲しみ、落胆するのでしょう

ものすごい矛盾ですよね

自分を認めて!理解して!って叫びながら

でも

「わたしに賛同できないというあなたの意見は認めることができません、理解できません」ってことですから

結局は自分、自分、「自分のこと」で頭がいっぱいなんです

自分の気持ちをわかってもらえない、と嘆くとき
きっと相手が共感してくれないのでしょう
あなたの言い分に賛成してくれないんでしょう
あなたが正しいって言ってくれないからでしょう

みんな心の中で

自分という存在
自分の生きたかを

「それでいいんじゃない?」と言ってもらいたいのです

だったら、相手にも同じものを

彼だとしたら
 
彼は彼でいい
彼は自分というものを持っていていいし
彼の感じること

自由にしてあげるんです

親子も家族も一緒です

自分を理解してくれなくても、何も悩むことなんてないんです
それはただお互いの考え方が違うだけ
違いを見つめて、そこからどこまで合わせらるか

合わせたかったらあわせたらいいし
違って嫌ならそれまででもいい

家族だから何でもわかってくれる、というのは幻想です
家族だから何でも話せる、はあるかも知れません

ただ、それが成立するには
お互いを尊重して、違いを認める
ことができて初めての成り立つのです

旦那がわたしの気持ちをわかってくれない。
親が理解してくれない。

そういう時には、相手に気持ちをぶつけていなかったり、本音を話してないことが多いのです

言わなくてもわかってくれるはず。
きっと、気づいてくれるはず。

それも幻想
話してみないと伝わりません

話すのがこわいかもしれません
恥ずかしいかもしれません

それを避けていて、本当の繋がりなんて
絆なんて生まれやしません

「誰も私を理解できるくれない」

だとしたら
あなたは自分をどれくらい理解してるのか

あなたの話を聞いてくれてるか?
あなたの気持ちを感じてくれてるのか
あなたのしたいことを応援してくれてるのか
あなたのことを100パーセント信頼できるのか?

まずはそこからです

自分のことは自分でする
自分のことは自分で守る

それもしないで相手に求めたっていつまでも手に入らない

本当はね

「家族は誰も私を理解してくれない」

のではなくて

「わたしが私を理解してくれない」

だから欠乏感でいっぱいなのです

一番大事なひと(自分自身)が、わかってやろうとしないから

それを他人にしてもらおうとしてるのです
そうじゃないだろ、まず自分でやるんだよ

ってことです

着たいもの着て
行きたくないなら断って
言いたいこと言って

そういう小さな「自分の気持ちに正直になる」ことが
自分への信頼になり、最大の理解者になるんです

人のことなんてどうでもいいよ
家族も大切だけど、本当は自分のこともっと大切でしょ?と思うわけです

自分のことを大事にできるから、相手のことも大切に思えるんです

家族だから、恋人だから、親子だからって
アメーバみたいに混ざり合ってベターっとしてたらおもいだけ

それでうまくいくのなら、それでもいいし
それだけがやり方ではありません

各々がそこに「存在」して隣り合わせにいることが、自分を見失うことなく相手にも重くならないんです

お互いが別々で自立しているから、
そこには「理解してくれない」という問題は起こりません