自分の意思ではなく皆と同じだから安心という理由で選んでいませんか?

こんにちは

小顔サロン、トゥーシャインのまきです

「それって本当に自分のしたいことなのか?」

「みんなと同じだから安心、という理由で選んでいませんか?」

ということを考えていました

便利な世の中で、頭を使うことって減ってきていませんか?

電車もバスもカード1枚でピッで乗ることができますし
スマホがあれば何でもすぐに調べることができる
自分で考えなくても雑誌やテレビやSNSでいろんな意見を聞くことができる

自分はどう思うのか、と考える前に
膨大な情報の中から安全そうなものを選んでいませんか?

日本人は「みんなと一緒」が好きですよね
みんながそう言うから、という安心感

そのように学校で教えられてきたことも大きいと思います

雑誌でもテレビでも何でも「型」をつくりだします

「新人OLはこれを着る」だとか
「お母さんの送り迎えはこんなスタイル」だとか
「○○の企業の男性はモテる」だとか

それを読んでいるうちに、それが当たり前なのかと思い込、それじゃなけゃダメなように思えてくる

そういう作られたイメージやスタイルに洗脳されていませんか?

みんながしてるから安心
みんながそういうから大丈夫
世間でそう言われているからそうなんだ

それって、何なんだろう?っておもうんですね

あなたが本当にそう感じているのなら良いと思います

ただ、もし、これでいいのかな?って少しでも疑問に思う気持ちがあるとしたら
それはあなたの意思ではなく、まわりからの評価があなたの答えになっているのかもしれません

「自分がこう思うから」ではなく
「世間一般でこう言われているから」

これが、いつの間にか自分の目線だと勘違いして
自分が日々選択していることも、本当は他人の目線や世間が作り上げた価値観で選んでいるのかもしれない

小さいころからそういう教育を受けてきたから、それにすら気がつかないし
それが当たり前になっている

なんていうことがあったら、こわいと感じませんか?

自分で決めているように思い込んでいるものが
実は洗脳だったり、流されていたり、みんなと同じだからという
「安心感」を求めているだけだったら?

自分が納得して問題ないなら良いと思うのです
ですが、違和感を感じていたり
本当にこれで良いのだろうか?
なにか違うように気がする

と思うのであれば、本当の自分の気持ちを隠してしまっているのかもしれません
それも知らず知らずのうちに、そんなクセがついていたとしたら

例えば、幼稚園受験なら親は紺色スーツ
スリッパも紺色
バッグはノーブランド
デザインがあったらダメ
サブバックはこれじゃないとダメ

そんな「型」がありますよね
法律で決められているわけでもなく、暗黙の了解

お得意の「みんなが言うから」

目立たないのが一番だから
みんなそうしてきたから
それが常識だから
 

それで良いと思うのなら良いのです

見た目は大切です
着るものも大切
相手があなたを判断する大きな材料になります

「服装でマイナスになりたくないから」
もちろんそうです 

服装というのはその場にふさわしいものがありますよね

芋掘りに行くのにハイヒールで行ったらどうですか?
私はハイヒールが好きなの、だからこれで良いの

と言っても、ちょっと、やはりその場には合わない

まわりから浮かないように
みんなと同じになるように

という視点で考えるのではなくて
芋を掘るのに適した服装か?
というところからみたら、ハイヒールを選ぶ人は少ないんじゃないかと思います

まわりが、だとか
みんなは、ではなくて
「自分が今から何をしにいくのか?」を考えることです

受験であれば
「面接を受けに来ました」
「ここの学校に入りたいんです」

就職活動であれば
「この会社で働きたいんです」
「ここで頑張りたいんです」

その気持ちを表したいじゃないですか、服装で。

だからね、そういう気合い選んだ服でいいじゃん。と思うんですね

だってね、デートに着ていく服は自分で決めませんか?

初めてのデートは白のワンピース
2回目はピンクのツインニット
3回目は黄色のブラウス

なんて暗黙の了解はないですよね。
誰か言ってますか?

あ、恋愛セミナーや婚活、そういった塾のようやところではあるのかもしれませんね
たぶんあります

だとしたら本当にそれでいいのかな

彼氏を作るために頑張るのはわかります
でも、努力する報告が違うんじゃないかって感じます

ゴールがそこなの?
方程式や答え合わせをすることなの?

テストで模範解答を丸暗記してるのと同じでしょ、と

そのテストでは合格できても応用がきかないですよね
答えの丸暗記だから

次のテストも自分で答えが出せないの
自分で考えることができないんです
答えだけ覚えてきたから

そうやって、いくつかの場面ではクリアできるのかもしれませんが
いつか、壁に突き当たる気がしませんか?

考えることをしなくても、だいたいのことはできる世の中なんだと思います

幼稚園受験ならデパートにそれ用のコーナーがあるから
そこで買えばほぼ間違いない

考えなくても揃っちゃうんです

面接に行く時というのは

どんな服ならば自分が清潔に見えるのか
やる気が伝わるのか
自分らしくみえるか
相手に不快感を与えないか
その場にあってるのか
面接官に好感を持ってもらえるか

ってあなたも就職活動の時には考えたと思います

そんなふうなに「考えること」をしなくても、答えがすぐそこにあって
それを真似すればオッケー、なことが増えている気がしています

みんなと一緒が安心。
それが模範解答。
それが、おりこうさん。

そんなもので判断する側もどうかと思いますが
そんな空気が普通になってしまっている

あなたがそれに疑問を抱くのは、きっと本心でそう思っていないからではないのかな?

そのうち「個性が大事」なんてなったら
きっとみんなカラフルなスーツを来てくるのかもしれません

この学校はホワイトが良い
あの学校はピンク系が合格率高い
というように

「いまの時代、子供のお受験はカラースーツが定番」
なんて雑誌に載ったら、紺色スーツはもう古いって言われる

そんなふうに誰かが作り出した流行りに踊らされているのかもしれません

面接ではこう答えて
答えを覚えて
それができたらおりこうさん

ここでもまた考えなくても済んでしまう

教えられたものだけを言ってればいいから

どんどん自分で考えることが減っていく
考える力もつかない
そのまま大人になる

願書提出のために深夜から並んだりして良いのかどうか迷う。
って普通に考えたらおかしくないですか?
受付は9時からって書いてあるんです

どこかのアパレルのセールの案内でも、会場時間前に並ばないでくださいって書いてありますよ

でもみんなが並んでるから

みんながしてることなら正しいのかな?

そもそも、何が正しいかなんて誰にもわからないものなのかもしれないのです

みんな本当は自分らしい答えを探しているのに
その他大勢の答えが正しいと思い込み
それが自分の答えだという錯覚

それで良い人はいいんですよね
納得してるのなら

そうじゃなくて苦しいのだったら、自分が納得するまで探したり変えて見たり色々動いてみることで見えてくることがあるのかもしれません

とさんざん言っておきながら、私も秋には紺色スーツで頑張ってたりして

自分で決めて、自分で選んでって、時にはまわりと違ったり 
あの人変わってるね、なんて言われて自信がらなくなったり迷ったり心細いかもしれませんよね

でも、自分で感じることを大事にしたいじゃないですか

人の言うことなんてどうでもよいんです
みんな、見えるものしか見てないから

自分の思うように突っ走って、違ったらまたやり直してって何度も繰り返すことでうまくなっていくのかなって思います

自転車に乗る練習みたいに、やっただけうまくなっていきますよね

「何か違う」って感じるのは、あなたがおかしいのではなくて本当の気持ちに気がついたからかもしれませんよね
おめでとうございます^_^